北八ッ彷徨 山口耀久(やまぐちあきひさ)=著
落葉松峠
…熊笹の多い落葉松林のなかを登っていくと、急に風が激しくなった。池から峠まではほんのひと登りといったわずかな比高にすぎないのだが、凹地の西側のくびれにあたる郡界尾根の鞍部を通ってくる風が、池の水をたたえた凹地の底に触れず、まっすぐその上を通って反対側のこの東側のくびれを吹き付けるせいか、まるでそこで、そのとき急に風が吹きはじめた、とでも思えるような突然の激しさだった。あっ、と驚くようなすばやさで、いきなり風景の転調がおこなわれた。静止した落葉松林がいっせいに動いた。私たちは足を止め、息をのんだ。
小広い平地になってひらけたその峠は、風と雪と、乱れ飛ぶ落葉松の落ち葉の、すさまじい狂乱の舞台だった。風に吹き払われる金色の落葉松の葉が、舞い狂う雪と一緒にいちめんに空を飛び散っていた。
滅びるものは滅びなければならぬ。一切の執着を絶て!
もはやそこに、悔いも迷いも、ためらいもなかった。すべてがただ急いでいた。ひとつの絢爛も完成して滅びの身支度を終えた自然が、ひとつの季節の移りをまっしぐらに急いでいた。…若いときの一時期(10ヶ月)を北八ヶ岳の森の中で過ごしました。
週末や連休などに入山して来られ出会った人々の印象より
一人きりで過ごした北八ヶ岳の森は、
30年経った今も深く私の心の中に残る。
語りかけるモノは
梢を渡る風と
軋みあうシラベやトウヒ
戸を揺らし荒れ狂う吹雪
弾けるストーブの中の薪の音さえ鮮明に覚えている。
眼に焼きつくモノは
私しか知らないマツムシソウの群生
小屋の窓辺から眺める月光は、煌々と雪原を照らし
木々の影は、恍惚たる漆黒の闇
静寂という時間さえ脳裏に残っている。
ランプの灯りに目を瞬たかせながら貪る様に読んだ “北八ッ彷徨” 。
誰も居ない北八ッの森の中は・・孤独ではない。
好きな北八ッの森の中で好きに時間を過ごしさえしていれば・・寂しさを知らない。
幾日も幾日も人に会うこと無く青春の一時期を過ごすと
私の様な人間が出来上がります。
“北八ッ彷徨” は、
私にとって山のバイブルと云うよりも人生のバイブル。
あれから30年、今ではもう好んで北八ッに訪れることはない
あれから30年、今でもまだ探し求めているのは “私の北八ッ彷徨” だ。
理想とする山歩きは
仲間以外に誰にも会わない
誰にも邪魔されない・・・。
…深い森の中に残してきた私の足跡を、私以外の誰が知るか・・・。…